ヘルシンギン・エネルギア
(ヴォサーリ発電所:熱電併給施設)を視察
※自然エネルギー政策研究所のHPから転載(著者:郡山昌也)。
http://www.renewable-e.net/
欧州視察の最終日、3月25日はヘルシンキの東部に位置するヘルシンギン・エネルギア社が運営する熱電併給施設「ヴォサーリ発電所」を視察しました。ヘルシンギン・エネルギア社は、1909年に設立されたフィンランドで最大級のエネルギー会社です。同社はヘルシンキ市が所有していて、発電と売電、地域暖房と地域冷房を供給しています。同社の概要と施設の紹介をしてくれたのは、同社の広報担当ハーゲン・マックラー氏と技術部長イスモ・スーマン氏でした。
同社は、電力をヘルシンキの9割を占める40万世帯と300の自治体に提供。発電のための燃料の割合は、天然ガスが約50%。化石燃料が21%(熱の場合は石炭が45%)。原発が20%(オルキルオト原発の株式10%を所有)で再生可能エネルギーは10%(主に水力)だといいます。フィンランド最大のエネルギー事業者でヘルシンキ市が所有している同社の開発プロジェクトでは、2024年までに再生可能エネルギーの割合を現在の2倍以上に引き上げる計画だそうです。■
この発電所では、コジェネレーション(電気と熱を同時に発生させる熱電併給システム)による地域暖房に加え「地域冷房」も実施しています。地域暖房については、配熱のための断熱パイプを地下に通して、10カ所の地域暖房センターを持ち100万世帯をカバーしています。今後は、地域暖房における自然エネルギーの割合を増やすために、現在使用している化石燃料を順次バイオマス資源に置き換えていく予定だそうです。■
現在は(バイオマス)ペレットを5%ぐらい石炭に混ぜて燃焼試験中ですが、近い将来には40~50%にあげていくことを予定しているそうです。そのための新しい発電所の建設も検討しています。2000年に始めた地域冷房は、この5年間で急成長していますがサービスを提供しているのはまだ市の中心部のみです。海外の他の都市ではフランスのパリなどで広がっているといいます。地球温暖化が進む状況下では、今後はヨーロッパをはじめ各地でニーズが増えるかもしれません。■
このフィンランドの「ヴォサーリ原発」の視察で、全日程10日間の欧州視察ツアーが終了しました。ドイツでは連邦議会の環境・自然保護・原子力安全委員会での公聴会で「福島原発事故の被害が更に拡大する可能性があった」ことについて、「(2023年末以降の)原発の運転期間延長」に向けた動きが始まっているドイツの国会議員の皆さんに伝えることができました。ポーランドでは、国会の「エネルギー資源特別委員会」で超党派議員の皆さんに「固定価格買い取り制度(FIT)」の実効性についてアピールすることができました。最後のフィンラドでは、あの小泉元総理が「原発ゼロ」に転換するきっかけになった使用済み核燃料の最終処分場「オンカロ」も視察できました。この成果を、国内での脱原発および自然エネルギー政策の実現に向けて活かしていきたいと思います。(全日程10日間の欧州視察ツアー映像報告)
フィンランド「オンカロ(高レベル放射性廃棄物最終処分場)」などを視察
3月24日は、早朝にヘルシンキを出発してオルキルオト島にある「オルキルオト原発」と「オンカロ(高レベル放射性廃棄物最終処分場)」の視察に向かいました。このふたつの施設は、フィンランド南西部のバルト海に面したエウラヨキ自治体オルキルオト島に建設されています。約4時間をかけて到着した「ビジターセンター」では、TVO社の広報担当ユハ・ポイコラ氏、Posiva社の広報部長ティモ・セッパラ氏が案内してくれました。ちなみに、Posiva社のセッパラ氏は、オンカロを紹介した世界的に有名な映画『100,000年後の安全』にも出演しています。■
オルキルオト原発は2基が稼働し、3号機が建設中です。3号機はフランスのアレバ社とドイツのシーメンスによる第3世代の安全措置があり、福島原発事故の後に引き上げられた世界最高レベルの安全基準を持つ原発です。格納容器は飛行機の衝突にも耐えられるように2重になっていて、メルトダウンが起きてもメルトスルーおよび再臨界しないように「コア・キャッチャー」が設置されています。そのため建設は、予定期間の2倍かかっても完成しておらず建設費も予定の3倍近くになるといいます。■
フィンランドは原発依存率が高く、最終的には現在の約2倍の60%まで原発を増やす計画だそうです。原発から出る高レベル廃棄物(使用済み燃料)は、40年間は原発サイト内の燃料プールで中間貯蔵。その後に地下420mの最終処分場「オンカロ」に移して地層処分します。稼働機関は2020年から100年間。その後は「トンネルごとすべてを埋め戻して」閉鎖します。そして、国の管理に完全移行する予定だといいます。オンカロの完成時の想定仕様は以下の通りです。収容可能容量:9000トン(4500キャニスター)、トンネルの深さ:400-450 m 、トンネル総距離:60-70 km、トンネル合計数:200、トンネル総容積:2 百万?、※地上とのつながり: アクセストンネルと立坑、換気シャフト
【オンカロ視察報告】移動用の緩やかな坂道のトンネルを地下420mまで約5km降りると「実証用トンネル」サイトに到着します。そこでは、使用済み燃料を埋設するためのトンネルが横に枝分かれしています。トンネルには一定の間隔で井戸のような縦穴が設けられています。その縦穴にキャニスターと呼ばれる容器をベントナイト粘土で上下を密封する形で埋め込むそうです(処分孔縦置き方式)。このキャニスターは、使用済み燃料棒を12束収納する鋼鉄製の筒状の容器と、それを覆う腐食を防ぐための銅製容器の二重構造になっていて、これを多重バリアシステムと呼びます。
【原発運営と最終処分を請け負う企業】フィンランドには2カ所に原発があります。ひとつはロヴィーサ原発。「フォルツム・パワー・アンド・ヒート社」が運営しています。FPH 社は北欧の大手エネルギー企業フォルツム社の子会社です。上場企業ですが過半数の株式をフィンランド政府が保有しています。もうひとつがオルキルオト原発です。「テオリスーデン・ヴォイマ(TVO)社」が運営しています。TVO社の株式の26%はフォルツム社、30%は地元自治体が運営するエネルギー会社が所有しています。■
1995年に原発事業者であるフォルツム社とTVO社が、高レベル放射性廃棄物最終処分場(オンカロ)の調査・建設・操業・閉鎖を実施するために設立した民間企業がポシヴァ(Posiva)社です。【最終処分場「オンカロ(洞窟/隠し場所)」決定の経緯】フィンランドでは、1994年に原子力エネルギー法が改定され、1996年からは放射性廃棄物の輸出・輸入が禁止されました(それまではロシアに返還)。TVO社は、高レベル放射性廃棄物のための最終処分場の検討を1980年の原発建設の際に始めました。■
「気象と環境と人間」の影響から避けられる約18億年前にできた安定した岩盤に400mの深さの処分場を構想。岩盤の特性を調査するために50本以上のボーリング調査から5か所を選定、オルキルオトが選ばれた。2000年にエウラキヨ議会が受け入れを決定(財政的な優遇措置は、固定資産税の優遇措置のみ)。2001年に国会が承認して、最終処分地「オンカロ」建設を決定しました。
【高レベル放射性廃棄物の処分(および廃炉)費用】フィンランドでは原子力法で放射性廃棄物管理の責任体制を規定していて、(エネルギー政策の)権限は雇用経済相が持っています。規制は放射線・原子力安全センター(STUK)が担当。高レベル放射性廃棄物の処分(および廃炉)費用は、雇用経済省が所管する「国家放射性廃棄物管理基金(VYR)」に積み立てられています。■
この基金に積み立てを行う主な廃棄物発生事業者はFPH 社とTVO 社です。処分費用の見積額は、オンカロの建設や操業、閉鎖の実施主体ポシヴァ社が算定します。2010 年時点での処分費用の総額は、約33.2 億ユーロ(約4,420 億円)。発電所の稼働年数等を基に5,500トンの処分量を前提とした金額です。内訳は、オンカロの建設費などの投資費用が約7億ユーロ(約930億円)、操業費が約24.2 億ユーロ(約3,210 億円)、閉鎖・廃炉費用が約2億ユーロ(約270億円)です。(※1?=133円)『諸外国における高レベル放射性廃棄物の処分について』(2014年版)■
【解説】高レベル放射性廃棄物の猛烈に強い放射性が、自然界にあるウラン鉱石と同程度の放射能レベルになるまでに10万年かかると言われています。利潤を求める民間企業であるポシヴァ社としては、オンカロの管理業務をどのように考えているのでしょうか?経営的にはペイしないのではないか?という疑問を持ちました。その質問をセッパラ氏にぶつけてみました。ポシヴァ社広報部長の返答は以下の通りです。操業を始める2020年から100年後には、廃棄物で満たされた処分場をすべて埋めて閉鎖します。高レベル放射性廃棄物が「永久処分」されたことをSTUK が確認した後は、廃棄物の所有権(管理義務)は国に移り、廃棄物に関する全ての責任を国が負うことが原子力法で規定されています。■
つまり、100年後までの処分用の費用も電気料金から積み立ててあるから経営的にも成り立つ(それ以降に経費が発生した場合は国が負担する)ということなのです。独立した企業(経営体)だと言っていたのに、この返事には驚きました。しかし「オンカロ」も絶対に安全だとは言えません。一カ所に数千トンという膨大な量の高レベル廃棄物(プルトニウムやウラン)がかなりの高密度で集積するリスクは計り知れないからです。■
懸念されている「人間(による危険)要素」として、10万年も経つ前にそれらを掘り出して原発の燃料や核爆弾の原材料として使おうとするリスクがないとはいえません。それにしても、地震大国の日本にはフィンランドのように18億年も安定した岩盤の地層は存在しません。果たして、使用済み核廃棄物の最終処分場のない(全国の原発サイトでも核廃棄物の置き場の余裕がない)日本で、原発を再稼働することが許されるのでしょうか?
※参考資料:『諸外国における高レベル放射性廃棄物の処分について』
経済産業省 資源エネルギー庁 発行
「ジャルノヴィエツ原発」建設予定地での脱原発デモと記者会見
3月22日の夕方には、ヴェイヘロヴォにある「ジャルノヴィエツ原発」の建設予定地を視察しました。ジャルノヴィエツは、夏には観光客が訪れるリゾート地でもあります。ポーランドでは、1970年代に原子炉と核燃料以外を国産化する計画を立てました。ポーランドの原発や核廃棄物貯蔵施設などは、環境省の監督下にある原子力庁が管理しています。1982年にはジャルノヴィエツ湖のほとりで原発の建設が始まりましたが、1986年に起きたチェルノブイリ原発事故の影響などで政府は計画を断念し、1991年に建設が中止になりました。6割近く完成していた建物は、現在は廃墟となっています(写真はWikipediaより)。■
しかし、ポーランド政府はエネルギー源の多様化と温室効果ガス排出量削減という理由で、原発の導入を再検討します。2009年には、ロシアへのエネルギー依存度を下げることなどを名目に、2020年までに原子力発電所を建設することを決定。最終候補地がジャルノヴィエツなど3つの町に絞られました。他の候補地、ゴンスキとホチェヴォの市民は原発建設に反対したそうです。そして、2011年の福島原発事故を受けてジャルノヴィエツでも反対運動が盛り上がっています。その原発建設予定地を、今回のポーランド訪問を企画してくれたMuSES財団理事長アンジェイ・スワヴィンスキ氏らと視察しました。■
その視察中に建設反対派のデモがやってきたので、代表理事の橘と菅顧問が合流しました。菅顧問は、福島原発事故から3年が経っているにも関わらず、水素爆発を起こした原発建屋内の圧力容器からメルトスルーした高レベル放射性廃棄物(デブリ)を取り出すめども立っていないこと。福島では、まだ14万人もの避難者が故郷に帰れていないこと。総理在任中には海外に原発の輸出を推進したが、こんな過酷な被害をもたらす原発に頼ってはいけないと180度考えを変えたことなどを伝えました。橘は、菅顧問が総理大臣の際に再生可能エネルギーの固定買い取り制度を導入したこと。その効果で、太陽光発電などの自然エネルギー事業が飛躍的に発展していることなどを報告しました。■
デモでは、長年地元で脱原発運動を続けている活動家のトーマス・ボレヴィック氏や、観光地ミエルノ町のオルガ・ローザク・ペザラ町長らが原発建設に反対するスピーチを行いました。デモの参加者には、グリーンピース・ポーランドやヨーロッパ緑の党の関係者もいました。この後、橘と菅顧問は取材に来ていたメディアのインタビューに応じました。前の記事でご紹介したヴェルヘロイヴォ市長訪問から、この記者会見までの流れを地元のTMMテレビが特集してくれています。
「Antyatomowa visit the Japanese prime minister」
ヴェイヘロヴォ市の産業商工会議所主催の講演会に参加
3月22日は、早朝にワルシャワからポーランド最大の港湾都市で、ポモージェ県の県都グダニスクに移動しました。その北西に位置するヴェイヘロヴォ市の市庁舎に、橘と菅顧問がクリストファー・ヒルデブラント市長を表敬訪問しました。ヴェイヘロヴォ市庁舎の周囲には、カルチュラルセンターや市立公園、文学・音楽博物館と聖アンナ修道院教会などがあります。■
市の中心に位置する市長舎内では、たくさんの部屋に展示された様々な歴史的な絵画や民族衣装などを見ながら、ヒルデブラント市長からヴェイヘロヴォ市の歴史や概況などについて話を聞きました。その後に、地元の素材で作られたハーブティーや紅茶、フルーツやスイーツをいただきながら、市議会議員の皆さんとも懇談しました。
その後に、ポーランドのヴェイヘロヴォ市産業商工会議所が開催した講演会に橘と菅顧問が参加しました。テーマは、日本における福島原発事故と再生可能エネルギーに関して。菅顧問の講演の後に質疑応答に応じました。会場は、ヴェイヘロヴォ・フィルハーモニックホールです。「ジャルノヴィエツ原発」の建設予定地があるヴェイヘロヴォで開催された講演会には、地元の市民をはじめ地方議員や首長、行政関係者、再生可能エネルギー事業に関心の高いビジネスマンや脱原発運動団体のメンバーなどが多数参加しました。■
菅顧問は、福島原発事故の経験と日本の再生可能エネルギーの状況について報告しました。参加者からは、原発建設と再生可能エネルギーについて非常に関心が強く、多くの質問が寄せられました。地元の住民からは再生可能エネルギーへの補助金や固定買い取り制度(FIT)に関しての質問が集中。テーマによっては数人が同時に発言して騒然とした雰囲気になる場面もありました。■
具体的には、「再生可能エネルギー振興(FIT)のための国民の負担」が税金としてなのか電気料金からなのかを詳しく確認する質問が続きました。原発の建設予定地の住民からは、原発の建設にかかる期間とそれに伴う「地元の負担と利益」について建設後を含めて切実な質問がありました。観光地でもある原発の建設予定地の村長からは「菅元首相が我が国の首相だったら観光地に原発を建設するか?」という質問も。
菅顧問が、日本では地場産業の少ない、経済的に厳しい地域に原発が建設されることが多いことを伝えて、「観光資源のある地域では、それを活かした方がいいのでは?」と答えると大きな拍手が起きていました。原発建設を阻止しようと活動している住民からは、自分たちは少数派だがどうやったら地域を守れるか?という必死の訴えもありました。参加者たちの意見としては、再生可能エネルギーで自主的な電力が確保できるのならば、原発がなくてもいいのではないかという声が多い印象でした。
ポーランド下院議会「エネルギー資源に関する特別委員会」などで講演
3月21日は早朝にポーランドのワルシャワへ移動。シェラトンホテルにて、橘と菅顧問が環境・再生可能エネルギー関係者との意見交換会を行いました。参加者は以下の通りです。再生可能エネルギー研究所所長のグジェゴジ・ヴィスニウスキ博士。ワルシャワ工科大学教授・熱工学研究所副所長のドロシー・シュヴィドゥック博士。ポーランド緑の党代表のアニエスカ・グルジベックさん。MuSES財団理事長のアンジェイ・スワヴィンスキ氏(今回の訪問のコーディネーター)など。菅顧問からは福島原発事故の際の首相として経験した原発事故の過酷さについて。また総理退陣の条件として導入した再生可能エネルギー法の影響などについて報告しました。専門分野を持つ参加者からは関連の質問が多数出されました。
【エネルギー資源に関する特別委員会】午後からは、ポーランド国会で開催された下院議会「エネルギーとエネルギー資源に関する特別委員会」に参加。所属する超党派の国会議員団に対して菅顧問が講演しました。場所は下院議会C棟102会議室で、参加者は以下の通りです。ヴァンダ・ノヴィツカ下院副議長(女性・人権活動家、パリコト党を離党して無所属)、アンジェイ・ザヴィンスキー下院議員:(エネルギー資源に関する特別委員会委員長)、市民プラットフォーム議員団長)、アンナ・グロツカ下院議員(みんなの運動所属:欧州で初めての性転換者の国会議員)、ヴァルデマル・パブラク下院議員(元首相、元経済大臣)など。他にもエネルギー委員会の理事メンバーを含めて、意思決定の権限を持っている超党派の国会議員メンバーが参加しました。■
ポーランドは、2010年に日本と原子力協定を結び、安倍首相が原発輸出のトップセールスを行った国のひとつです。現政権は、エネルギー安全保障の観点からも原発の建設を予定しています。ただポーランド議会では、再生可能エネルギーの方向性も模索されていて各党とも色々な意見があります。菅顧問は、総理大臣として陣頭指揮を執った福島原発事故について、1号機から3号機までがメルトスルーから水素爆発に至った経過や、最悪の場合には東京を含む250km圏内の5千万人が避難する可能性もあったことなどを報告。自衛隊や警察、消防など行政機関関係者による決死の努力に加えて、いくつもの「幸運な偶然」が重なったこともあり(4号機の燃料棒プールでの再臨界が)避けられたことを報告しました。■
そして、福島ではまだ14万人が避難生活を強いられていること。広域の除染や被災者への賠償、廃炉や使用済み核燃料の最終処分問題などを考えたら、原発が決して安いエネルギーではないこと。そして原発はアメリカでも減ってきていること。日本でも再生可能エネルギーが「固定価格買い取り制度(FIT)」の導入によって急速に発展していること。条件が揃えば、ドイツのように2050年には80%を目指せる可能性があることを報告しました。参加者からは、原発の賛成派も反対派からも熱心な質問がありました。特にFITに関しては、具体的な買い取り価格に関する値段設定やコストなどについての質問が出ました。委員会での報告に続いて、ノヴァッカ下院副議長、ザヴィンスキー委員長、スワヴィンスキ理事らと国会内で記者会見を行いました。
【一般市民との公開意見交換会】この後、 橘と菅顧問はポーランド国会議員団と一般市民との公開意見交換会に参加しました。テーマは「ポーランドと日本による再生可能エネルギーに関する協力関係などについて」。参加者は、引き続き参加のザヴィンスキー委員長、パブラク下院議員(元首相)の他に、ピーター・シエスリンスキ下院議員(新技術と革新に関する委員会メンバー)および超党派の国家議員団、元欧州議会議員、環境NGO、脱原発団体の関係者、在ポーランド日本人などでした。最初に、菅顧問が福島原発事故のその後と日本の再生可能エネルギーについて報告しました。
経済大臣も務めた経験のあるパブラク元首相は、市場で再生可能エネルギーの売買ができるという革命的な変化を起こすための「固定価格買い取り制度」導入のタイミングなどに関して熱心に発言と質問をしました。具体的には、一定の価格が保証されて蓄電技術が発展すれば一般家庭も買電をする電力事業者になり、大手電力会社の競争相手になる可能性があると発言。太陽光発電設備が10年で減価償却できるなら「再生可能エネルギーのコストが高い」という固定概念を打破できるのではないかと質問しました。また、前ポーランド緑の党共同代表のダリウス・ゼッド氏が、ポーランドのエネルギー政策を考える場合には(再生エネ推進の)EUの共通エネルギー政策を念頭に置く必要があることを指摘しました。■
市民からも、両国で脱原発や再生可能エネルギーの分野で協力していく可能性についてなど多くの質問が出されました。菅顧問は、原発の輸出を進めていた立場から脱原発に変わった理由を聞かれて、廃炉や高レベル放射性廃棄物の処分コストが膨大であることや、被災者が家族が3年が経ったいまでも引き裂かれて生活せざるを得ない状況であること。そしてm福島原発事故では「250km圏内の5千万人が避難する」という最悪の事態が十分にあり得たことなどについて、地図を掲げて説明しました。■
【ワルシャワ経済大学での講演】この日の最後に、ワルシャワ経済大学3号館第1講堂で菅顧問が、発生当時の総理大臣として陣頭指揮を執った福島原発事故とその後の経過について講演しました。講演会には、大学生以外にも会社帰りのサラリーマンや女性たちも来場しました。学生たちからは、一度事故が起きれば民主主義制度そのものを破壊するぐらい甚大な被害をもたらす原発をなぜ作ったのか?という根源的な質問が出されました。
他にも、原発事故による被災者の被害を含めた社会的・経済的なコストについて。また日本における太陽光発電や蓄電などの技術や再生可能エネルギーで2050年代までに80%を達成する可能性や、固定価格買い取り制度(FIT)のこと。他にも日本とポーランドとの技術協力に関する質問などが出ていました。講演後には、菅顧問のいるステージに参加者が列を作って、時間切れで言えなかった意見などを伝えていました。