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【脱原発の戦略について考える国際シンポジウム】今回の東日本大震災による福島原発の事故を受けて、日本で緑の党設立を目指す「みどりの未来」は5月15日(日)に脱原発の戦略について考える国際シンポジウムを代々木の国立オリンピック記念センターで開催しました。友人たちが関わったこの会議に僕も個人として参加しました。タイトルは『今こそエコでフェアな自治体を!「3.11」から未来を拓くシンポジウム』。テーマは「いのち最優先の自治体・エネルギー政策 大震災・原発被災後のビジョンを徹底討論!」です。パネリストは、今やテレビや新聞、講演会などで引っ張りだこ。国内のみならず海外も含めて飛び回っている環境エネルギー政策研究所所長、飯田哲也さんや雇用問題などに詳しい元朝日新聞記者で和光大学教授の竹信三恵子さん。それに緊急ゲストとしてドイツ緑の党国会議員のジルビア・コッティング・ウールさんが参加されました。http://site.greens.gr.jp/article/45251557.html

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【ドイツ緑の党ジルビアさん】「みどりの未来」は、今回のシンポジウムに特別ゲストとしてドイツから緑の党下院議員のジルビア・コッティング・ウールさんを招聘しました。ジルビアさんは、ドイツ南西部のバーテン・ビュルテンブルグ州代表で、原子力政策や環境政策のスポークスパーソンでもあります。また、ジルビアさんは1998年に緑の党がSPDと初めて連邦議会で連立政権を組んだ際の政策協議に参加した議員(各党から8名)のひとりでもあります。
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【脱原発で大躍進するドイツ緑の党】ジルビアさんが代表を務めるバーテン・ビュルテンブルグ州では、福島原発の事故を受けて、4月に行われた州議会選挙で脱原発を結党以来30年以上訴えてきた「緑の党」が大躍進を果たし、ドイツの脱原発の流れを決定的なものにしました。緑の党は第1党のキリスト教民主同盟(CDU)に次ぐ高い得票率を得たことで、社会民主党(SPD)と連立政権を組み、約60年間も保守党の牙城だった同州でドイツ史上初めての緑の州首相(ウィンフリート・クレッチマン氏)が誕生しました。これはドイツの政治史にとってだけではなく、全世界にとって歴史的な快挙だと思います。ジルビアさんからは、これまで緑の党は(連邦政府でも州政府でも)連立政権のジュニア・パートナーでしたが、今回は初めて州首相を出す主要政党として政権の運営に当たるため、政策合意に至るまでには相当のご苦労があったという裏話を教えてもらいました。

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【ドイツ脱原発の経験から】ジルビアさんは講演で、今回の福島原発の事故は世界中のどこでも起こりえた事故が日本で起こってしまったと感じていること。そしてドイツの緑の党は環境問題だけでなく、社会(保障)問題との両方に対して解決を目指してきたことを紹介されました。そしてヨーロッパにおけるチェルノブイリ原発事故の影響について。また、緑の党がどのように成立してきたのかを紹介されて、市民運動と政党の連携が重要であることを話されました。そして、これまでのドイツ緑の党の経験から「どうやって脱原発を成し遂げたのか」について講演されました。緑の党が成長してきた戦略のひとつに「情報、情報、情報(戦略)」があり、『TAZ(ターゲスツァイトング)』という環境問題などを伝える草の根型ニューメディア(新聞)の創立がきっかけになったそうです。今やこの新聞はドイツの至る所のキオスクで売られ、普通の日刊紙と同じように読まれているそうです。やはり「情報は民主主義の通貨」なのだと感じました。また、ジルビアさんは「ドイツでは2025年までには原発を廃止する予定で、天然ガスを除いては化石燃料も2035年までに使用しなくなる予定であること。」「その中でも風力が大きい割合を占めるようになること。」「日本のほうが風力発電は10倍程可能性が高いのではないか。」などと話されました。※シンポジウムの詳細は以下のUST映像と講演サマリーをご参照下さい)http://iwakamiyasumi.com/archives/9315

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【ドイツには「市民の不服従」の権利】ドイツでは議会で緑の党が頑張っているだけではなく、市民が脱原発を掲げてデモを行ってきたといいます。昨年9月には15万人以上がデモを行い、原発で排出された使用済み燃料を輸送することに抗議して線路での座り込みのデモも行われたそうです。現在は、国会議員としてベルリンの連邦議会で脱原発政策を進めるジルビアさんですが、昔は自分も線路に座り込んだ一員だったという言葉が印象に残りました。さすがは市民運動から誕生した緑の党だと感じたからだです。今年の3月12日には、福島原発の事故を受けて、25万人の脱原発を掲げたデモも行われました。ドイツには「市民の不服従」という考え方があり、国や政府のやっていることがおかしいと思ったら、それに対して市民(社会)がデモなどの行動で示す習慣があるそうです。このことが実はドイツの政治を動かしているのだといいます。ドイツで政治への参加の方法は、どうやら選挙日に投票に行くだけではないようです。

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(※福島視察で通訳をされた田口さんが、ジルビアさんに「なぜドイツは原発に対して厳しいか」を聞いたそうです。すると「(もちろんチェルノブイリ原発の事故による影響も大きいですが)戦争に負けた経験のないフランスにくらべ、ドイツは2度戦争に負け、ナチスの経験、ユダヤ人虐殺という経験を持っている。その経験から、特に戦後生まれた世代は常に政治に対して批判的に厳しくあらねばならないと感じているからだ」と説明してくれたそうです。)

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※以下のリンクは5月28日にドイツ全国で16万人が参加した脱原発デモの映像です。旧首都のボンでは、今回ジルビアさんの通訳を務めて下さった通訳の高田知行さんが登壇。福島の現状を紹介。ドイツ人の参加者が日本語で「ダメダメ原発・止めよう原発!We will Change!」と熱いエールを贈ってくれました。

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5月26日の毎日新聞によれば、5月22日の北西部ブレーメン州でも、緑の党の得票率が民主同盟を上回り、同じく脱原発を訴えた社民党(SPD)に次ぐ第2党へと躍進しました。このような躍進の伏線は、実は、福島原発の事故以前からあったといいます。ドイツは2002年の社民党(SPD)と緑の党の連立政権(シュレーダー政権)の時に脱原発路線を決定。そして2022年までの全廃を目指しました。しかし、キリスト教民主同盟(CDU)のメルケル政権が2010年9月に路線を変更し、(太陽光や風力などの)自然エネルギーの普及が進むまで原発を最長14年延長する方針に変えたのです。このことに対して、緑の党など野党や環境NGOなどが猛反発した訳です。それで、上記のようにデモ隊が放射性廃棄物を運ぶ列車を止めようと線路に座り込むなど、各地で数万人規模のデモの嵐が吹き荒れたのだそうです。
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そして朝日新聞は、ドイツのメルケル政権の連立与党は30日、ついに遅くとも2022年までに電力供給の約23%を担っている原発から脱却する方針で合意したと伝えました!これで、2002年に緑の党と社民党が連立政権で決めた合意に戻った訳ですが、保守党の連立政権がこれを決めたことで11年後のドイツの脱原発政が先進国で初めて実現することになります。ドイツ在住の通訳、高田さんによれば、前述の28日のデモを企画(参加)した市民団体は、「脱原発の政策を決めるのはここが正念場」だと必死に頑張ったそうです。今回の決定は、議会における緑の党の活躍と行動する市民運動による大きな大きな一歩です。日本もこれに続きたいものです。

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【原発と民主主義は相容れない】

5月13日の朝日新聞は、東京電力が今頃になって「福島原発1号機が震災直後からメルトダウン(燃料溶融)していた」ことを認めたと伝えました。そして、翌週に2号機も3号機もメルトダウンしていたと認めました。2ヶ月以上も経って、ほとぼりが冷めた今頃になってこんなに重大なことを明らかにするという東電や政府のやり方には多くの有権者が深い不信感を持ったのではないでしょうか?シンポジウムの質疑応答では、このようなマスコミと政府による原発事故に関する情報操作について意見が出ました。ジルビアさんは、このような政府やマスコミによる情報操作は日本だけの問題ではないといいます。ジルビアさんは、この情報に関する不透明性を「原発(というシステム)に内在するもの」と言っていました。別の言葉では、原発は「民主主義に相容れない存在だ」ともいいました。民主主義には政治や(原発事故などの問題に関する)情報の伝達などが透明性を持っていることが大前提だからです。これは飯田哲也さんが 「エネルギーの問題は民主主義の問題である(エネルギーデモクラシー)」と言われていることと共通する話ではないかと思いました。

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【政府は原発関連情報を隠す】それは、どの国の政府であっても事故が起きた場合の原発に関する「本当のこと」を伝えればパニックを引き起こす恐れがあるから、情報を隠す場合がほとんどだというのです。日本には、原発事故の際に放射性物質の飛散について予測する「緊急時迅速放射能影響予測(SPEEDI)システム」があります。放射能汚染による地域住民の被害を最小限に抑えるために、どんな被害が周辺に出るかを予測するためのものですが、政府がこの情報を公開したのは事故から2週間近くが経ってからでした。パニックを恐れてという理由でしたが、このために(30キロ圏外だから安全だと思って)飯舘村に避難した人たちが高濃度の放射線に被曝してしまうという悲劇が起きました。※NHKが放射線の専門家と福島の飯舘村やもっと汚染度の高い赤宇木(浪江町)など各地の放射線量を記録し検証した秀逸な番組を制作しました。以下から全番組が視聴可能です。ETV特集『ネットワークでつくる放射能汚染地図(福島原発事故から2カ月)』http://t.co/oPdqQ8x

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【市民運動から緑の党へ】緑の党は、1980年に反核平和、有機農業、ジェンダーや環境保護などの市民運動から始まりましたが、設立にはミヒャエル・エンデやヨーゼフ・ボイスなどシュタイナー教育などで知られる人智学に関わる芸術家たちも関与していたといわれています。緑の党は、連邦政府においても1998年から8年間、SPD(社会民主党)と連立政権を組んで脱原発や自然エネルギーの振興、有機農業の発展につながる政策を力強く実行してきました。そのためドイツのオーガニック市場は、欧州最大の約6000億円規模に成長しています。そして風力産業が約6000億円規模に、自然エネルギー市場全体では約2.6兆円規模(2005年:ISEP)に達しています。写真は元共同代表で元消費者保護・農業大臣のレナーテ・キュナスト氏と元環境大臣のユルゲン・トリッテン氏です。

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【なんで脱原発が必要なのか?】200人以上が参加した今回のシンポジウムで、ジルビアさんは「脱原発を実現するためには、市民の力強い運動が必要であること。そしてそれを議会に持ち込む政党が必要なこと。「それがあれば脱原発の戦略は可能です」と語ってくれました。個人的には約20年近く有機農業運動に関わってきましたが、3月11日の震災直後からの約2ヶ月半は、原発震災に関する情報収集や発信にかなりの時間とエネルギーを費やしてきました。
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ジルビアさんも述べたように、政府やマスコミは放射能汚染の実態や原発事故の本当の状況を把握するために必要な情報を十分には伝えないからです。 また、今回のような重大な原発事故が一度起きてしまえば、ヨウ素やセシウムなどの放射性物質によって広範囲に水や土壌、農地や牧草地、大気や海水などが汚染されてしまいます。報道によれば5月21日までに福島、茨城、栃木、千葉、神奈川の5県で生茶葉から500ベクレル/kgの規制値を超えるセシウムが検出されて、宮城の牧草からは許容値の5倍以上(1530ベクレル)のセシウムが検出されました。福島県いわき市の沿岸ではワカメと貝類から基準値の2倍を超えるセシウムを検出。東京都江東区の下水処理施設では、採取された汚泥焼却灰から約17万ベクレル/kgの放射性物質が検出されたと発表されています。※『食品など放射能汚染に関連する資料(規制基準値など)』http://organic-newsclip.info/rad/

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【原発と農業は相容れない】このように、有機農業を含む農業、畜産、水産業などの第一次産業は関東近郊を中心に相当に深刻な影響を受けています。生産者にとっては、国の基準値を超えていない産地の生産物でさえも、風評被害によって十分な値段がつかずに生計が成り立たないという事態が続いています。その一方で、消費者にとっては首都圏を含む関東全域にいまも降り注いでいる放射性物質は地域によってはすでに年間1msvを超えているのではないかという調査報告もあります。特に小さな子供のいる家庭では飲み水や食べ物の汚染による内部被曝の可能性などを併せて考えると本当に深刻な問題です。
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ジルビアさんは、30年前には(市民運動の)反原発のデモで線路に座り込みをしたひとりでもありましたが、当時は地元で有機農業をしていたそうです。それが自宅の近くに原発が建設されると知って反原発運動に加わったそうです。また、チェルノブイリ事故の際に子育てをした母親だった彼女は、このウクライナでの原発事故で核の雲(放射性物質を大量に含んだ雲)がヨーロッパを覆った時、二人の子どもを外で遊ばせられず、食事も缶詰しか与えられなかった経験から緑の党に入ったそうです。また今回、創設期の緑の党と関連のあったシュタイナー学校にジルビアさんが子供を通わせたことを知ることができて、日本で有機農業運動とシュタイナー教育運動に関わってきた自分としては、不思議な巡り合せだと感じました。そしてシンポジウムに参加して、「原発は民主主義と相容れない」だけでなく、健全な環境を必要とする「有機農業とも相容れない」ことから、やはり日本も将来的にはドイツのように脱原発を目指すべきだと改めて強く感じました。※内部被曝を含めた情報がわかり易くまとめられている資料『放射線被曝から子供をまもるために(岐阜環境医学研究所所長 松井所長監修)』

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【福島の飯舘村や山形の米沢市へ】ジルビアさんは、この講演会の翌日16日と17日で「みどりの未来」国際担当の足立力也さんらと福島第一原発から30キロ圏内の南相馬市や飯舘村などの津波や原発震災の状況視察と、山形県の米沢市に疎開している被災者の実態の確認に向いました。この視察団のリーダーは企画を主催した「みどりの未来」足立さんです。今回の東日本大震災の直後から南相馬市など原発震災から逃れてきた被災者の方々が避難された場所のひとつに山形県の米沢市があります。原発から、とにかく車で西に逃れてガソリンが切れるのがちょうど米沢だったこともあり、米沢市営体育館には最大600人の被災者が避難していたそうです。

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その現場に、らでぃっしゅぼーやOBの先輩である丸山弘志さん(ボランティア米沢事務局長)が震災直後から入っていました。依頼したのは、生活クラブ山形の井上肇理事長。神戸出身の丸山さんは阪神大震災で被災をした経験から、こういう場合に集ってくるボランティアをコーディネートできる人材が必要なことを理解していたからです。その丸山さんが、震災から2ヶ月が経ったのを機会に東京に戻って現地報告をしてくれました(5月13日)。たくさんの写真を使った丸山さんの報告を聞いて、現地の様子もよくわかりましたが、それだけに被災現場を自分の目で見て状況を確認したいという想いがいっそう募りました。そう思っていたら、丸山さんの計らいで彼がコーディネートした「みどりの未来」によるジルビアさんたちの飯舘村や南相馬市の視察に、僕も通訳補助兼記録係で同行させてもらえることになりました。以下にその報告をさせていただきます(写真は3月23日の米沢市営体育館)。以下は丸山さんの「まるがけ日記」)。http://ameblo.jp/marugake

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【福島の津波と原発震災の現場で】ジルビアさんと視察チームは、16日(月)に東京駅から新幹線で福島駅に向かいました。今回、同行取材をしてくれた朝日新聞国際報道部の記者さんや現地を案内してくれるボランティアで、ご自身も南相馬市からの避難者でもある五十嵐さんらと合流。早速、まずは津波で被害を受けた(新地町に近い)海岸地域を視察しました。視察の車は、新幹線の福島駅から東に向かって移動。最後に寄る飯舘村を横切って、南相馬市の50キロほど北に位置する新地町役場から南下して行きました。途中、飯舘村を通り抜けていく際に車中のガイガーカウンターが突然大きな音で反応しました。原発からは30キロ圏外なのに、風向きや雨によって特定の地域にホットスポットができていることを実感した瞬間でした。

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【津波で破壊された相馬港】視察団を乗せた車は、新地町役場に立ち寄った後、相馬港に向かいました。そこでは、港にあった漁協や卸売り市場などの建物が無残に破壊されたコンクリートなどの瓦礫の山に…。被災地を表す際によく爆撃を受けた戦場のようだという比喩を使いますが、一概に大袈裟な表現ではないと感じました…。地元の人たちにとってのシンボルだったという松川浦大橋は、危険だということで通行止めになっていました。津波で破壊された岸壁のコンクリートや波除けのテトラポットが近くの松林にまで運ばれているのを見て、津波の威力の恐ろしさを実感しました…。相馬港に着くまでは、各地で開催された脱原発デモの話などいろんな話題で賑やかだった車内もここでは急にシーンと静まり返りました…。
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【米沢に避難していたご夫婦と遭遇】相馬港では、丸山さんたちが拠点にしているボランティア米沢に避難されていたご夫婦と偶然にも海岸で再開するという出来事もありました。ご夫妻はすぐ近くにご自宅があったそうですが、その後どうなっているかを見に来られたとのことでした。おふたりは、自分たちの目の前で津波に家を流されてしまった様子を説明して下さいました。おふたりは竹藪にしがみついて九死に一生をえたそうです。ジルビアさんは静かに頷きながらその話を聞いていました。ご夫婦は、全く予定になかった丸山さんたちとの遭遇に「米沢ではお世話になりました。」「こんな所でまた会えるとは…。」と言って再開を喜んでいらっしゃいました。ジルビアさんは、移動するまでのしばらくの間、津波で破壊された相馬港からみえる海を見渡していました。

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【国道に乗り上げた漁船】松川浦では、国道沿いに1階部分が破壊されたホテル、民宿、ラーメン屋さんなどの前を通って南に下りました…。海岸近くの通りや田んぼなどにはボートや大型の漁船がいくついくつも打ち上げられていました…。塩害にやられた田んぼは乾いてひび割れが目立ちました。海岸からは20m以上は離れている道路の交差点にも大きな漁船とボートがあり、どうすれぼこんな所にまで運ばれるのかと驚きました。また、海の中には津波で引きずり込まれたバスがあり、今回の津波がとんでもない規模のものだったことを目の当たりにしました…。そこから南相馬市に向かって南下する国道から左側には、海岸線まで続く広大な何もない土地が…。以前はたくさんの住宅があった場所の変わり果てた様子に視察チーム一行は言葉を失いました…。

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【南相馬市の高遠菜穂子さん】南相馬市では、イラク戦争の(劣化ウラン弾等による)被災者支援をしていた高遠菜穂子さんらがボランティアで片付け作業をしている農家宅を訪問しました。この日は浜風なのか強風が吹きつけていて砂埃が舞っていました。放射線物質を含んだ砂埃から目を守るためにゴーグルは欠かせません。お邪魔した農家の鈴木さん宅では、ガイガーカウンターを持っていないのか、我々に気になる裏の畑や倉庫の線量を計って欲しいと頼まれました。実際にネギなど作物の線量はそうでもなかったのですが、根っこの土を少し掘って測ってみるとけっこう高い数値が出ました。
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それを聞いて「やっぱり、食べない方がいいのかねー。」とつぶやく鈴木さん。ジルビアさんは、高遠さんや農家のお母さんと話をして、こんな状況なのに我慢強く笑顔で迎えてもらって、しかも泣き言を言わない状況に「人間の強さを見た。」と思ったそうです。ただ、それと同時に津波や地震は天災でも、「原発事故は自然災害ではないのだから、もっと怒ってもいいのではないか」とも感じたといいます。今回の震災に対する東北の人々の我慢強い対応は、世界的にも賞賛されていることですが、守られるべき権利が守られないような場合には、じっと我慢しているだけでは、今回のようなことにつながってしまうのではないかと自分自身の反省を含めて感じました。

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【飯舘村の菅野村長を訪問】視察団は、最後に飯舘村の菅野典雄氏を表敬訪問しました。飯舘村は、ほとんどの地域が福島原発から半径30キロ圏外なのですが、南端の一部が圏内に入っていてその地域から、かなり高い放射線量が検出されています。いわゆるホットスポットです。村全域が計画的避難区域に指定された飯舘村では、「みどりの未来」国際担当の足立力也氏とジルビアさんが、避難計画や政府との交渉などで多忙な村長に貴重なお時間をとっていただきました。畜産業に力を入れて「飯舘牛」などのブランド牛を育ててきた飯舘村。菅野村長は、手間を惜しまない「までい」の心を大事にする、エコビレッジとしても知られていた飯舘村の復興に向けて、余裕ができたらまた若い人をドイツに勉強に行かせたいと語っていらっしゃいました。ジルビアさんも是非協力したいと応じていました。

※福島原発の事故による土壌汚染に関する詳しい資料「土壌汚染問題とその対応」河田東海夫氏(第16回原子力委員会資料)

http://www.aec.go.jp/jicst/NC/iinkai/teirei/siryo2011/siryo16/siryo2.pdf

※新潟大学農学部応用生物化学科「土壌学研究室(野中昌法教授)」のブログhttp://blog.goo.ne.jp/soil_niigata

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【500マイクロシーベルトのホットスポット】この後に、村の小学校に勤務している地元グループのリーダー、愛澤卓見さんに村内を案内してもらいました。日本一美しい村」とも呼ばれた飯舘村の、ちょうど夕陽が沈む前ぐらいの時刻の新緑が萌える風景は、何も知らなければ車外に出て散歩したいと思うぐらいでした…。山を登る曲がりくねった道をどんどん走る車内では、目的地の長泥という地域に近づくにつれて、ガイガーカウンターの放射線量の表示がどんどんと上がっていきます。1、2、3、5そしてついに「10μsv(マイクロシーベルト)」を越えて、けたたましいアラーム音が車内に鳴り響き出しました…。視察メンバーの間に緊張が走ります。でも、「これぐらいまだ序の口です。」と冷静な愛澤さん。そして、車が停まって「着きました。」と愛澤さんが、マスクもしないでさっさとに車外に出ていきます。「僕らはここで生活していますから。」それを聞いて、僕らも持参した防御服を着る暇もなく慌ててマスクとゴーグルだけをして後を追いました。

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そして、文科省のモニタリングポイントを見せてくれた後に、近くの建物の雨どいが落ちる下水溝の上にガイガーカウンターを置く愛澤さん。すると、どんどん数値が上がって最大のアラーム音(警報)が鳴り続ける検査機は、瞬間的になんと「650μsv」を記録しました。あまりに高い線量に、被曝を恐れて思わずカメラを持つ手を引っ込めたくなりました。検査機は、この間の平均でも「約500μsv(0.5msv)/h ※」を記録しました。さすがにこの時は自分も「身の危険」を感じました。でも、残った地元の人たちはマスクもしないでそこで普通に生活しているというのです…(※1年間の一般の人の被曝許容量が1msv:ミリシーベルト)。「あまりここには長居しない方が…。」という丸山さんの一言で、一行は車に戻って帰途につきました。※文科省は5月30日、飯舘村の約2ヶ月間の積算放射線量が20ミリシーベルトを超えたと発表しました。(相馬港、南相馬市から飯舘村までの視察に関する記録映像:山形県議・草島進一氏の撮影)

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【内部被曝による体内放射能の測定を!】今回の視察では、移動の車内で愛澤さんが視察団のメンバーに強く協力を求めていたのが村民に対する「ホールボディカウンターによる体内放射能測定」です。飯舘村の皆さんが今回の事故で被曝してもうすぐ3ヶ月が経とうとしていますが、3ヶ月以内にどのぐらいの内部被曝をしているかを測定しないと、その痕跡が体内から消えてしまうそうで、そうなると被曝したという証拠も残らないことになってしまうそうなのです。それを福島県立医科大学に対して要望しているのに聞いてもらえないのだそうです。相当の内部被曝の可能性もある村民の皆さんの安全を考えれば、体内放射能の測定は当然のことではないかと思います。詳しいことは、以下のリンクから皆さんが提出した要望書をご覧下さい。
※ちなみに福島県二本松市の三保恵一市長は5月27日、独自にホールボディカウンターを利用した内部被曝検査を行うことを明らかにしたそうです。
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1071

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【避難先の米沢市で被災者と】17日は、ジルビアさんと「みどりの未来」国際担当の足立さんは南相馬市から避難してきた被災者の方にお話を聞きました。ご自身も1986年のチェルノブイリ原発事故の際にドイツで子育てをした母親でもあるジルビアさんは、若い子育て中の女性や、小さい子供のいるご夫婦の話を親身になって聞いていました。そして「原発事故による放射能汚染の程度がはっきりせず、いつ故郷に戻れるかわからないこと」、「避難先では仕事を見つけるのがかなり難しいため、妻子を避難所に置いて働きに戻る人もいること」など避難者の実態を知ることができました。ジルビアさんは、子供たちの被曝を心配し、早い時期の復興と脱原発を願う被災者たちの声に触れて「できれば仲間たちとグループを作って、自分たちで情報収集をして被災者の声を集めて政治や行政に届けていくことも大事だ」と話されていました(5月18日山形新聞)。

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【日独脱原発エネルギー国際会議へ!】ジルビアさんはこの後、東京に戻って18日に大阪で記者会見を開催して、大阪と京都で集会に参加しました。19日には静岡で川勝平太知事を表敬訪問し、浜岡原発も視察しました。その様子は「SBS静岡放送」のニュースで紹介されました(独緑の党議員、視察した浜岡原発を批判)。
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20日(金)には東京に戻って記者会見を開催。交流会の後に21時から最後に岩上ジャーナルのUSTインタビューを受けるという超過密スケジュールを精力的にこなして、翌21日に帰国されました。最終日の記者会見でジルビアさんは、今回の視察を通じて交流を持つことができた「みどりの未来」や環境NGOなどの市民団体や自治体の地方議員さんたちに、世界をリードするドイツの自然エネルギーの現状を見てもらい、同時に原発や使用済み燃料処理場などを見てもらうため視察ツアーを企画したいと表明しました。また、政治家や市民団体、在野の研究者を招いて「日独脱原発エネルギー国際会議」も、秋ごろを目処にベルリンで開催したいという計画を発表しました!(写真提供:朝日新聞)以上、今回の交流が今後の日独両国での脱原発と自然エネルギーへの機運が高まる機会になることを祈りつつ「みどりの未来」が主催したジルビアさんの被災地視察ツアーのご報告を終りたいと思います。長文をお読みいただきありがとうございました!

【ジルビアさん視察の関連記事】
5月20日朝日新聞(静岡版)
「ドイツ・緑の党議員が浜岡視察 知事に政策転換訴え」
http://mytown.asahi.com/areanews/shizuoka/TKY201105190576.html
5月20日毎日新聞(静岡版)
「浜岡原発:ドイツ「緑の党」議員、視察 脱原発を訴え」
http://mainichi.jp/area/shizuoka/news/20110520ddlk22040259000c.html
5月24日毎日新聞(京都版)
「日本は原発と決別を 独議員訴え」
http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20110524ddlk26040621000c.html
5月24日朝日新聞(国際面)
『日本の脱原発「今こそ」ドイツ緑の党議員 指摘」』
http://bit.ly/kROWKP  

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☆6月15日にドイツのジルビアさんからメールが届き、ご本人が書かれた今回の日本訪問記の翻訳版を送っていただきました。「日本は自然エネルギー資源の宝庫」だというジルビアさんの報告書をどうぞお読み下さい。ちなみに、写真は左端がユルゲン・トリッティン議員。ドイツ緑の党院内総務(連邦議会緑の党会派会長)で1998年から2005年までシュレーダー政権で環境・自然保護・原子力安全大臣を務めた緑の党の顔です。そのお隣は、同政権で消費者保護・食品・農業大臣を務めて、有機農業やオーガニック食品推進の旗を振ったレナーテ・キュナスト議員。ジルビアさんを含めて、緑の党の立役者たちが脱原発デモに参加した様子です。
「Sylvia_Kotting-Uhl_MdB_Japan_2011-05.pdf」

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